「ブランドの定義」を考える | インターブランドジャパン

brandchannel:japan

「ブランドの定義」を考える

今週からブランディングの基礎に関するコラムをお届けする。1回目となる本稿では、コンサルタントのCalin HertiogaとJohannes Christensenがブランドとは何であるのか、またこの言葉が広くビジネスや文化でどのように使われているのかを見ていく。

あなたが銀行に行って口座残高の明細を頼んだとしよう。窓口の担当者がこう応じたらどう思うだろうか。

「お客様の残高は…、そうですね、お客様の価値に対して私が抱く直感のようなものです」

あなたが呆気に取られていると、担当者はこう続ける。

「例えば服装などから見て、お客様が裕福だと私が判断すれば、当行はお客様の口座に入金します」

「いや、その…」

「お金とは当行とお客様を結ぶ接点であり、私の頭に浮かんだお客様の資産に対する考えです」

「…?」

このような意味不明のやりとりは、普通起こらない。私たちは、銀行に行けばすべての銀行員に「お金」の意味について共通の理解があるものと信じ、病院に行けば医師全員に「病気」に関する一致した理解があるはずだと考える。私たちは一般的に、プロフェッショナルたちが専門分野の基本的原理について共通の見解を持つことを期待するものだ。
だがブランディングの場合、そうはいかない。「ブランド」が意味するところについて、専門家の間でも共通の認識がないからだ。彼らはブランドのことを直感、記憶、接点、無形の総和、ビジネス資産などと定義している。さらにややこしいことに、ある事物(例えば”会社”や”イメージ”など)を指すのに、多くの人が「ブランド」という言葉を使っている。[1]
例えば「利益」の定義は1つだけだが、「ブランド」(または”ブランディング”)には少なくとも30の定義が存在する。仮にあなたがCEOだとしたら、どんなアドバイザーにお金を払うだろうか。事実に基づいた仕事をしてくれそうなエコノミスト? それとも、自分でも何を言っているのかよくわかっていなさそうな、話の回りくどいブランドコンサルタント?

 

一流のエコノミストたちは何十年にもわたって間違いを犯しているにもかかわらず、今でも人々から信頼されている。一方「軽薄なブランド業界人」は、ブランドを本能で正しく理解しているというのに、依然として信頼を得られていない[2] 。このことは、言葉の定義を明確にすることがいかに重要かを示す、ほんの一例に過ぎない。
責任の一端は、われわれブランディング専門家にある。私たちはブランドの基本用語を簡潔に定義する代わりに、おのおのがブランドについて独自の表現をひねり出し、しばしば定義を誤っている。ブランドに関する共通認識の欠如は、その議論を、良くて曖昧なものに、最悪の場合非論理的なものにし、多くの企業経営幹部から信頼を勝ち取る障害となっている。

まず定義ありき
ではブランドとは一体何なのか? この言葉がどのように進化してきたかを見るところから始めたい。
元来ブランディングの一義的な目的は、製品やサービスが特定のエンティティ(存在物)に属していると認識させることだった。何千年ものあいだ [3]、人々は自分たちの物にそれとわかるよう彫り込みや焼印を入れていた。これを表す言葉は2つあり、1つは陶器や茶など初期の貿易産品に彫り込まれたり描かれたりしたシンボルを指すギリシャ語由来の「marking / mark」、もう1つは家畜などの所有権を記す焼印のことを指す古ノルド語由来の「branding / brand」だ。やがて「mark」がドイツ語、イタリア語、フランス語に定着する一方、「brand」は英語において「markings」を意味する総称となった [4]。「brand」という言葉の使用が著しく増加したのは、比較的最近のことにすぎない。下記のグラフは、Googleがデジタル化した書籍にある各単語を集計したものだ。「brand」は20世紀初頭に書き言葉として普及したものの、顕著な増加が見られるのはブランドコンサルティングが勃興した1980年代に入ってからとなっている。

「brand」や「branding」という言葉は何を意味するのか。というよりむしろ、何を意味するべきなのか? 家畜の焼印を意味する「branding」は、見てすぐ分かる意味を持っていた。やがて売り手と買い手の取引が多様化していくと、売り手たちは焼印という単なる視覚的サインを超え、色や質感、においを使うことで自分の製品(サービス)を際立たせることを始め、さらには様々なタッチポイントで言葉、フレーズ、行動、施策を行うようになった。
結果としてブランディングという言葉には、エンティティが人々から認識されるべく実施するすべてのことが含まれるように進化していく。家畜のブランド(焼印)は人々が認識できるように使われるシンボルであったが、ブランドに本来の意味を残しつつ、ブランディング活動の結果として多種多様な意図的表現を含むようになったのは、つい最近のことだ。

要するに、ブランドとは「人々から認識されようと意図するエンティティ(人、組織、企業、事業体、都市、国など)によって行われる、あらゆる表現の総和」である。
それ以上でも以下でもない。定義というものは、ヒントやアドバイスを与える必要はないのだ。人生という言葉の定義は、生き方の参考にはならない。サッカーの定義など聞いても退屈なだけだが、プレーや観戦をすれば豊かな感情が湧き上がる。

 

明確な言葉の意味を不明確なものに置き換えるなどナンセンスだ。そのようなことをすれば認知的な負荷がかかり、混乱が起きる可能性が高まり、共通理解が難しくなる。それこそ、われわれがブランドやブランディングの現場で直面していることである。
言語は進化するため、その意味は時間の経過とともに変化するものではあるが、定義が切り替わるのに唯一正当なケースとして考えられるのは、新たな定義がほぼあまねく使われ、元来の意味と同じくらい明確である場合である。業界全体で「ブランド」の意味の多くが宙に浮いている状態では当てはまらない。彼らは「ブランド」の意味にイメージ、約束、体験などのような概念を付け加えているものの、それは過剰かつ逆効果である。上記に示したように、論理的(語源的)に派生したこの言葉の現代的定義は、現在の経済的社会において十分に重要な役割を担っており、さらなる注目を集めたいがために余計な解釈を付け加えるべきではないのである。

定義を決める3つの基準
言葉の定義には、建物の基礎と似たような働きがある。それは表には見えない部分であり、特に魅力的ではないかもしれないが、建物全体の安定を担保している。それが揺らぐことがない限り、決して話題にのぼることはない。
私たちの定義が確固としたものであることを確かめるために、「相互条件(Biconditionality)」と「オッカムの剃刀(Occam’s razor)[5]」という2つの条件を組み合わせ、どのような定義もチェックできる3つの基準を設定した。

  1. 定義は一切の例外を許さない。あるブランドが「何か」であるなら、すべての「何か」はブランドである。
  2. 描写しようとする言葉がすでに存在するなら、それを別の何かに言い換える必要はない。
    (例えば”評判”を”ブランド”に言い換えない)
  3. 定義に使う要素は必要な分だけにし、極力少なくする。

あなたの周りにあるブランド(この記事にあるブランドも含めて)の定義にこれらの基準を当てはめてみて欲しい。例えば、ブランドを「接点」や「資産」と定義することは良いとは言えない。なぜなら、すべての接点やビジネス資産はブランドではないからだ。別の例を挙げると、AmazonのJeff Bezosが「ブランドというのは、本人のいない時にその人物について他の人たちが語る内容だ」と述べた話は有名だ。だがこれを表現する言葉はすでに存在する。「評判」だ。Jeffには申し訳ないが、この定義はクールだが正確ではない。
整理しよう。「エンティティを認識されるための表現の総和」はすべてブランドなのか? その通り。この定義の文言のどれが欠けても意味を失うか不正確となり、逆に言葉を付け加えるのは余計であり不必要である。

「ロイヤルティ」や「誓約」をどう考える?
「だが、”ブランド”にそれ以上の意味があるのは確かだ。ブランドが認識だというのは分かるが、説得やロイヤルティの意味もあるのでは? ブランドはプロミス(約束)であり、評判でもあるだろう」
説得力やロイヤルティはブランドだけに左右されるわけではないので、ブランド定義にはならない(”オッカムの剃刀”の原理にある通り、論議は最少にとどめるのがベストだ)。ビジネスモデルやマーケティング戦術、環境的制約などはすべて、ブランディングの有無にかかわらず説得やロイヤルティに影響する。認識こそブランディングの機能である。とはいえ、ブランディングも方向性を打ち出し、信頼関係を育み、自己表現(”買った物を見ればあなたが何者か分かる”こと)を可能にすることなどにより、説得力やロイヤルティに影響を与えることはできる。
一般的に知られている企業や個人の大半はブランドを有するが、ブランドがあることが成功を意味するわけではない。ブランドは良くも悪くも認識の役に立つものであり、大幅な経済的価値の増加をもたらす説得力やロイヤルティに力を発揮するのは、真に強力なブランドだけである。
プロミスと評判はどうだろう? プロミスはブランド戦略の一環として、強力なブランドが成立する前提条件となる。評判とイメージはブランディングの影響を受けるが、ブランドに固有でない別の要因(競争や市場に変化など)からも影響を受ける。いずれの言葉も、ブランドの定義の核心部分であってはならない。
では、ブランドと商標について考えてみよう。商標は保護される無形資産を指す法律用語である。一方、ブランドには認識を助けるものの物理的な「マーク」に分類できない表現が含まれており、商標のような保護は受けられない。例えば、人の話し方は認識することができる(例えばMartin Luther King、あるいはDonald Trumpを考えてみるといい)が、今のところ商標として登録することは不可能だ。(今後できるようにすべきだろうか?)

私たちがすべき3つのこと
まとめると、ブランディング専門家にとってブランド定義が重要なのはなぜなのか、変化をもたらすために私たちは一体何をすれば良いのかは、以下のようになる。

考えを明確にする
はっきりとしたブランドの定義は、企業活動のうちブランディングに分類されるもの、されないものを明確にする上で役立つ。例えば、クルマのフロントグリルは、自動車メーカーがその形状により認識されたいと考えるのであれば、多くの場合ブランディング要素だ。だがエンジン内のピストンは、最良のパフォーマンスを上げるため物理的に特定の形状にならざるを得ず、すべてのクルマでほぼ同じであると考えられる。したがって、ピストンの形状はブランディング要素ではない。
企業活動すべてがブランディングというわけではなく、認識されることを狙って行うことだけがブランディングだ。この点は、私たちが言葉を明確にし、どのタイミングでビジネス戦略やブランディング戦略の助言を行えば良いか、またそれらの関係性を判断する上で役立つはずだ。

発言を明確にする
私たちはブランドのプロフェッショナルとして、混乱を排し普遍的な明確さを打ち出すためにも、「ブランド」に当てはまらない場合はこの言葉の使用を控えるべきである。「ブランド」の意味を正しく理解していれば、例えば「会社」と言うべき場面で「ブランド」という言葉は使わなくなるだろう。「ブランドはxxに投資すべきだ」というのも駄目だ。投資を行える主体は会社、事業部門、人であって、ブランドではない。だからといって、ブランドの重要性が低くなるわけではない。逆に私たちが提唱するブランド定義は、好むと好まざるとに関わらず、あらゆるものがブランドであることを暗に示している。エンティティはすべて認識されるための意図的行動をとっている。問題はブランド化するかしないかではなく、巧みにブランド化するかしないかなのだ。ブランド戦略とマネジメントの力を発揮するなら、ここをおいて他にはない。

メソッドを明確にする
ブランドはそれ自体で成立することはできず、エンティティの外で作られる。したがって、良いブランディングを行うにはエンティティとステークホルダーの両方に細心の注意を払うべきだ。例えば、ある企業が知名度向上を狙って数え切れないほどの表現を打ち出したとする。製品、サービス、プロセス、施策、デザイン要素、知覚的体験のいずれにもブランディング要素が含まれうる。これらが野放図に実施されれば、内在的なリスクが高まりかねない。そうしないためには、これらの表現を管理する仕組みを持つことが望ましい。最高の効率性とインパクトを持つ表現を打ち出すには、ブランドの構築・管理に情報伝達・処理、意思決定の最新科学を活用するべきである。
あなたのブランド、あなたが責任を担うブランドを最大限活用する方法を検討するなら、「ブランドは認知されたいエンティティが行う表現の総和である」ことを忘れてはならない。
ブランド定義は、事物のありようを伝えるにとどめるべきだ。意味ある表現を積み上げることは良いブランドを作りもするし、損ないもする。同様に、良い企業を作ることも壊すこともしばしば起こる。この点については、次編でさらに掘り下げていく。


《参考》

[1] ”brand”という言葉は様々な言い方で表現されている。
http://www.drypen.in/branding/brand-is-a-living-memory.html
https://www.deeprootdigital.com/blog/what-is-a-brand/
http://brandchannel.com/brand-glossary/brand/
「換喩」とは、ある単語を別の単語を使って言い換えること。例えば「ホワイトハウス」が米国大統領職のことを指すことなどがそうだ。
https://www.merriam-webster.com/dictionary/metonymy
以下のような表現は矛盾している。「ブランドとはプロミスである。一方で強力なブランドは、関連性、差別性や信頼性の高いプロミスを持っている」。ブランド自体がプロミスであるなら、ブランドはどうやって「約束する」のだろうか?
http://www.dolphinbrandstrategy.com/whatwedo.html#brandwhat

[2] 「エコノミストも間違う」
https://www.theatlantic.com/business/archive/2013/01/the-irrational-consumer-why-economics-is-dead-wrong-about-how-we-make-choices/267255/
「ブランド業界人は信用されていない」
https://hbr.org/2017/07/the-trouble-with-cmos

[3]「ブランディングはおそらく盗難防止のため家畜に焼印を押す慣行として始まった。紀元前2,700年頃の古代エジプトの墓からは焼印を押された牛の絵が見つかっている。やがて買い手たちはブランドが原産地や所有権についての情報を提供し、品質を知る手がかりになることに気づく。こうしてブランディングは陶磁器など他の商品にも行われるようになった。ある種の形態のブランディング、原始のブランディングとも呼べるものが、アフリカ、アジア、欧州の各地でそれぞれ異なる時代に、自然発生的かつ個別的に出現した。例えば中国における秦朝(紀元前221ー206年)の初期製品には、ブランドのような機能を果たした印章が見つかっている。また貿易に大きく依存していたインダス川流域のハラッパー文明(紀元前3300ー1300年)の印章も数多く発見されている。紀元前3000年頃のメソポタミア・ウルでは、円筒印章が導入されたことで商品や財産へのラベリングが発達した。古代ギリシャ・古代ローマの両時代には、陶器の製作者が窯印を使うことは一般的だった。陶器に押すスタンプをはじめとする識別印は、古代エジプトでも使用されていた。(Wikipediaより)
https://en.wikipedia.org/wiki/Brand#Etymology

[4]「marks」と「brands」について
出典:Medic, Mane & Medic, Igor & Pancic, Mladen. (2009). Mark vs. Brand – Term and Controversies. Interdisciplinary Management Research. 5. 147-154
 https://www.researchgate.net/publication/46561429_Mark_vs_Brand_-_Term_and_Controversies

[5]「オッカムの剃刀」の原文(ラテン語)は、「Non sunt multiplicanda entia sine necessitate」
 http://science.howstuffworks.com/innovation/scientific-experiments/occams-razor.htm

 

Translated and edited from “What is a brand?”, brandchannel.com from “What is a brand?”, VIEWS, in the Interbrand.com

Authored by Calin Hertioga and Johannes Christensen

brandchannel:japan一覧