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どうすれば大学の序列を覆すことができるのか
インターブランドジャパン
シニア・ディレクター クライアントサービス&ソリューショングループ 上野 真嗣
大学受験シーズン真只中である。受験生を抱えるご家庭では試験結果に一喜一憂し、落ち着かない日々をお過ごしではないだろうか。本稿では昨今活発になってきた大学におけるブランディングについて考えてみたい。
大学受験人口はピークであった1992年の121万5000人から70万2000人に減少する中、入学定員は年々増加、今年は69万3000人となり、全体の受験倍率は1.01倍まで低下している(駿台予備学校調べ)。
現在私立大学の約4割が定員割れを起こし、経営が難しい状況に陥っている大学も少なくないといわれ、国公立大学でも一部大学で経営統合の動きが進み、今後更にその取り組みが増えてくると予測されている。日本の大学は生き残りをかけた競争の時代になっているといえよう。
「認知の量」ではなく「認知の質」
学生、企業、社会から選ばれる存在になるために「情報発信の頻度を高めて、認知の向上を図る活動」を「ブランディグ」として取り組んでいる大学が増えている。電車の車内、駅中で大学の広告を見ない日はないし、新聞やSNSなどの媒体でもそれらを目にする機会は多い。
しかしそこで訴求されている内容に、どれほど独自性・差別性を感じるだろうか。
グローバル・リーダシップ・多文化共生社会・リベラルアーツ・地球・社会への貢献、などの言葉が並ぶが、「本当にその大学でしか語れないこと」を見出すのは難しい。
また広告で訴求されていることと、大学案内誌、ホームページやオープンキャンパスなどステークホルダーとの主要な接点において訴求されていることに一貫性がなかったり、乖離があったりすると、かえってメッセージを受け取る側が混乱してしまう事態にもなりかねない。
「認知の量」を高めるだけで選ばれる大学になれるわけではない。「その大学は知っているが、魅力を感じない」と言われてしまえば元も子もない。選ばれるか否かのポイントになるのはむしろ「認知の質」であろう。自らが何者であるのか、他とは違うどんな機能や能力を有しているのか、どのような価値を提供するのかといった「中核となる考え方」を形成する、本来ブランディングにおいて極めて重要な取り組みがないがしろになっているのではないだろうか。
ブランディングを阻むもの
先日とある大学関係者と上記のような話しをしていると、「そうはいっても」とそれらを実行する際のハードルがいくつもあることを聞いた。ひとつは大学において特長や強みを明確にすることの難しさだ。
企業では「将来目指す方向に合致しているか」や「利益の向上に貢献しているか」などを判断基準に優先的に投資する事業を明確にしたり、優秀な人材を重用することは当たり前のことであるが、大学においては一般的に学部や教員の優劣をつけることが難しく、一部の学部や教員だけを取り上げようものならたちまち「けしからん」と非難の声があがるそうだ。結果としてどの学部も平等に横並びとなり、「あれもできます、これもできます」といった総花的な情報発信につながり、大学の特長や強みを訴求する際にも「建学の理念」や「就職率」などだれからも文句が出ないものや、定量的に数字で表せるものに偏ってしまうという。
また、教員が大学に対する帰属意識が低く、大学として目指す方向を定めても考え方のベクトルを合わせることや、カリキュラムとして実践することが難しいことも課題としてあがった。
もちろんこれらの話しは全ての大学に当てはまるとは限らないが、ブランドの情報発信や体験構築、一体感の醸成において障害になるだろう。
国際教養大学の取り組み
2004年に秋田に設立された国際教養大学は短期間で高い評価を獲得した事例として、多くの書籍やメディアで紹介されているが、いかにして現在の評判を得るに至ったかをブランディングの文脈でみても、その成功の要件を満たしていることが多いことに気づく。

今こそ新たな価値提案を
国際教養大学の成功の理由については、多くの方が様々な視点で説明しているので、その点について詳細はあえて割愛するが、単に「新設でしがらみがなかったから」「小規模で小回りが効くから」などの理由だけでは説明できるものではなく、やはり他の大学にはない強い志・理念、アイコニックなキービジュアル、時代の要請に応えるこの大学でしか得ることのできない体験、それらを実現・推進する強固な体制などがあったからこそではなかろうか。
今日のように先の見通せない時代においては、偏差値や伝統など従来のモノサシとは異なる新たな価値提案を行うことで、旧態依然とした大学の序列を覆す大きなチャンスであるともいえよう。
広告宣伝活動だけに偏らない、真の意味でのブランディングは決して容易な取り組みではないが、これから大学を取り巻く環境が更に厳しくなることが予見されるなかで、その意味合いはより重要なものになっていくだろう。
参考書籍:「なぜ国際教養大学で人材は育つのか」中嶋嶺雄著